これまで仕事をしてきて、モノをたくさん所有することが幸せだという認識を持っている人の多くに、「生きることへの執着」を感じてきました。

それは同時に、自分に自身がない、本当の自分を受容できていないことの現れでもあると感じています。

 

皆さんにとって、「生きる」とはどういうことでしょう?

この地球に生を受け、あるいは自分で選択して親の元にやってきた私たちにとって、「生きる」目的や、そこで果たすべき役割とはなんでしょう?

 

私は子どもの頃、何にでも疑問を持つ子どもでした。

両親が不和にある家庭に育ったこともあってか、小学生の頃には自分が生まれてきたことに疑念を覚えていました。

学校で受ける評価とは裏腹に、組織や人間社会に大きな違和感を持ちながら育ちました。

社会人として多少の経験をつみ、自分で事業をするようになっても、仲間や関係者と私が見ている時間と範囲にいつも大きな隔たりがあり、言っている言葉を理解してもらえない、こうした想いをずっと持ってきました。

 

理解されないと感じながらも、友人の「真紀ちゃんの言ったことは、いつも数年経つと必ず一般的になる」という言葉に支えられ、そしてまた、私がこの世に生み出された意味や、果たすべき役割が理解できるようになるにつれ、辛かった子ども時代の家庭環境や組織に馴染めなかったことも、それら全てを経験する必要があったのだということを知りました。

 

「生きる」とは、自分自身の成長がその大きな目的の一つだと私は考えていますが、更にこの時代を選んで生まれてきたことにも、果たすべき役割があるのだと考えています。

だから、「生きる」ということは、受動的に「生かされている」ことでもありながら、能動的に「生きている」ことなのだと思います。

こうした考えを持つ私にとって、その先にある「死」とは、「一つの役割を終えて境界線を越えた状態」でしかありません。

 

自分自身の「生きる」目的や役割を理解し、同時に日々の小さな幸せを感じながら、感謝しながら、未来へと行動し続けることが、結果としてその人の日常の全てを形作ることになるのではないでしょうか?

 

 

 

 

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